1994/12/27 旅行記 Bali > Jakarta




旅行記13日目

インドネシア バリ島・ウブドからジャカルタへ移動です。

5:00に鳴って起きる。シャワーを浴びて荷物を完全にまとめる。5:30に朝食。ありがたい。すぐに迎えが来てバンに1人。日がきれいに上り始める時でなにげないものすらきれいに見える。また来よう。

ぴったり1時間で空港に着く。即チェックイン。国内線用の使用料はやはり必要で7,700IDRを払う。するとガルーダ・インドネシア航空の女性が現れ、セキュリティチェックからラウンジまで付き添われる。2クラスで自分含めて3人。ミーゴレンなど出されてちゃんと食べてしまう。少し眠る。

時差が1時間あるので時計を進めて8:40ジャカルタ到着。国際線ターミナルへ着いたためイミグレがあったので面食らうがスルーでよかった。ホテル予約カウンターがあったのでJalan JaksaのHotel Karyaにしてもらう。Depositは必要?と聞くと全2泊分払えとのこと。え!とのけぞると、「1泊分だけだと、2泊目の単価をホテルが値上げするかもしれないでしょ」という返事。なるほど。いや、よくわからん。

それが終わっても9:00なので、少しぶらぶらしてからタクシーでGrand Hyattへ向かう。

なぜGrand Hyattだったかと言えば、しばらく前に大学同期のKuとYaが結婚して、新婚旅行として自転車で太平洋半周(タイからニュージーランド)の旅行に出ていたので、ここジャカルタで会うことにしていたのだ。

とはいえ、彼らから届く絵葉書やエアログラムとこちらから先々の町の中央郵便局へ送る手紙のやり取り、それと一ヶ月前にかかってきた電話での検討の結果、「12月27日12:00にジャカルタのGrand Hyattのロビー集合。来なかったら同じ場所に18:00。それでもダメなら翌28日に同じ場所・時刻で。会えなければそれまで」という潔いというかゆるい約束を交わしていたのだった。

彼らはその時は自転車はジャカルタの安宿に預けてカリマンタンを旅行していたはずだが、その宿の名前が思い出せず、とはいえジャカルタの安宿街はJalan Jaksaという通りで、そこだ、というところまでは聞き出せたので、一応こちらもそこに宿を取った、という流れ。今日の移動にこだわって航空会社巡りをしていたのもこれが理由の一つなのであった。

タクシー乗るときに苦情をハガキとして出せる紙をもらう。逆にこういうのをもらう方が怖いんだよな。といっても特に何もなく、30分くらいで着く。30,000IDR。しょうがないのでラウンジでお茶飲む。ウブドのOka Watiで400IDRだから、3,000くらいかな、と思ったら、6,600だった。国際ホテルプライス。

しかしながら12:00過ぎてもKuは来ないので、タクシーで予約したホテルへ行きチェックイン。なんか手持ちが薄くなったので、銀行探して周辺をぶらぶら。久しぶりに肉が食べたいなとマクドナルドでビックマックセット。東南アジアで標準のチリソースをつけて食べる仕様。ホテルは工事中で部屋にいてもガンガン音がするのだが、朝早かったせいもあり寝てしまう。

気がつくと18:00過ぎていて、二回目のミーティングに行かれなかった。ま、いいか。

さて、ビールでも飲むか、と支度してから、Jalan Jaksaで飯屋を覗いていると、道の向こうからKuとYaが突然現れるという劇的な展開。午後、船で着いて18時にGrand Hyattへ行ったとのこと。すまんな。そこからビール飲みまくり。Yaは途中で帰り、ホテルの部屋でこれまでの旅行についてなど話をする。

そういえばそのパブはビール会社から派遣された「ビールつぎ」の女性がいるのだが、カールスバーグはスカートも短くてきれいな子だったが、それには気づかずビンタンビールばかり飲んでいたのだった。

***
(追記)
・Hotel Karyaは166,592IDRの支払い記録が残っているので、おそらく一泊料金はUSD40表示だったと思う。
・今なら携帯もあるし「ジャカルタなう」とかそんなやりとりが可能であろうが、金がかからなくて確実な方法はこれくらいしか思いつかなかった。


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投稿者: にっき

基本は乗り鉄。国内全競輪場踏破を目指して時々旅打ち。残り6場。全部浦和が悪い。競りは好きだが斜行は嫌い。京王閣で聞いた「後ろ見てねえで前踏め!」という野次の通り生きていく。雲ゆえの気まぐれ。ちゃんとして!今度泣かす。競馬場踏破はようやく達成。